個人的なランニング日誌です。生活や自然、歴史なども紹介いたします。
by totsutaki
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2010年 10月 27日 ( 1 )

走ることについて語るときに僕の語ること

【走った距離】  5.8 km
【今月の累積距離】  221.055km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 10℃、最低 6℃
【体重】 66.9kg
【コース】
会社まで最短
【コメント】
同じ会社の人が来月の初マラソンを目指して練習中
地元のランニングクラブの練習会で順調に距離を延ばしている
「今 ハルキ・ムラカミの
"What I Talk About
When I Talk About Running"を読んでいて
インスパイアを受けているの」とメールで教えてくれた

私の最も好きなエッセイのひとつでなので
メールを読んでうれしくなった

「走ることについて語るときに僕の語ること」は
作家 村上春樹が走るという行為について書いた本

気づく、気づかないにかかわらず、
われわれがランニング中に感じていることを
村上春樹のスタイルで教えてくれる

ランナーは彼の表現を実体験を通じて味わうという恩恵を受ける

再読、再々読したが
いつもランニングという行為の中の新しい気づきを与えてくれる

ゴッホの木を見てはじめて実物の樹木の美しさを知るように、
村上春樹の文章を読むことによって
ランニングをより深く味わうことができる
f0199449_4525777.jpg



特に共感できる文章を書き出した

痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル。

走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらく最も有益であり、大事な意味を持つものであった。そして二十数年間走り続けることによって、僕の身体と精神はおおむね良き方向に強化され形成されていったと思う。

人は誰かに勧められてランナーにはならない。人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。

そう、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない。僕はそう思う。そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。

100キロを一人で走りきるという行為にどれほどの一般的な意味があるのか、僕にはわからない。しかしそれは、「日常性を大きく逸脱してはいるが、基本的には人の道に反していない行為」の常として、おそらくある種特別な認識を、あなたの意識にもたらすことになる。その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない。多かれ少なかれ、良かれ悪しかれ。

若死をまぬがれた人間には、その特典として確実に老いていくというありがたい権利が与えられる。肉体の減衰という栄誉が待っている。その事実を受容し、それに慣れなくてはならない。

苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きていることのクオリティーは、
成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識にたどり着くこともできる。

アムステルダムマラソンのスタートシーン
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アムステルダムマラソンのゴールシーン
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by totsutaki | 2010-10-27 04:54 | ランニング