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ルーヴェンの通り9 ルーヴェンに関係のある人物
【走った距離】 5.8km
【今月の累積距離】 153.635km 【心拍数】 平均 135rpm、 最高 147rpm 【天気】 くもり 【気温】 最高 16℃、最低 6℃ 【体重】 66.0kg 【コース】 会社まで最短 【コメント】 今日はルーヴェンに関係の深い人物の名前がついた 通り、広場を紹介 1.ダミアン広場 Damiaanplein 2.エラスムス広場 Erasmusplein 3.フーバー広場 Hooverplein 4.ラドゥッツ広場 Ladeuzeplein 5.レオポルド1世通り Leopold I-straat 6.ヴェサリウス通り Vesaliusstraat 7.デーリック・バウツ通り Dieric Boutslaan 8.メルカトール歩道 Mercatorpad 1.ダミアン広場 Damiaanplein 以前ブログで紹介したように ルーヴェンカトリック大学で神学をまなぶ ダミアン神父はベルギーのカトリック司祭 ハワイ州モロカイ島でハンセン病患者たちに生涯をささげ、 自らもハンセン病で命を落とした カトリック教会の聖人で記念日は5月10日 2.エラスムス広場 Erasmusplein ロッテルダム出身の司祭、人文主義者、神学者。 「カトリック教会を批判した人文主義者」 『痴愚神礼讃』を著す トーマス・マンと親交し、マルティン・ルターと論争する ルーヴェンカトリック大学で教鞭をとる 3.フーバー広場 Hooverplein 第1次大戦中ドイツ軍によって焼き払われた図書館は 終戦後アメリカの義捐基金 およびドイツからの賠償金によって完全に再建されたが 当時のアメリカ合衆国の第31代大統領 ハーバート・クラーク・フーヴァー の名前がつけられた 4.ラドゥッツ広場 Ladeuzeplein もとはキアラ会女子修道院があった 18世紀末修道院は廃院となり広場がつくられた 当初はナポレオン広場とよばれたが、 その後人民の広場と改名された さらにルーヴェンカトリック大学学長の名前をとって ラドゥッツ広場と改名された 5.レオポルド1世通り Leopold I-straat 以前ブログで紹介したが ベルギーの初代国王 ドイツ人だがロシアに仕官し元帥になる イギリスで王女と結婚 死別後もイギリスで暮らす オスマン帝国から独立したギリシャに国王就任を依頼されるが断る しかし同時期オランダから独立したベルギーの国王就任要請をうけた その後フランス国王の娘と再婚 6.ヴェサリウス通り Vesaliusstraat 解剖学者で医師、現代人体解剖の創始者 16世紀にルーヴァン大学に入学、 一時パリ大学に移ったが 再びルーヴァンに戻り卒業 その後パドヴァ大学で博士号を取得 心臓は4つの室からなり、肝臓は2葉、 血管の始まりは肝臓ではなく心臓であることを発見 「 ファブリカ(人体の構造)」を著す 7.デーリック・バウツ通り Dieric Boutslaan オランダ ハールレムに生まれ、 画家としてルーヴェンを中心に活躍 ヤン・ファン・エイク、 ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに影響を受ける ボウツは北ヨーロッパで最初に 遠近法における消失点を表現した画家の一人 シント・ペーター教会の『最後の晩餐』 8.メルカトール歩道 Mercatorpad 16世紀のフランドル生まれ ルーヴェン大学で学ぶ メルカトル図法を考案 大航海時代時代の航海用の地図の画期的な発明 地図製作で異端を問われ、 数ヶ月のあいだ牢につながれた
by totsutaki
| 2010-09-17 06:26
| ルーヴェン
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