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個人的なランニング日誌です。生活や自然、歴史なども紹介いたします。
by totsutaki
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フィレンツェ共和国

【走った距離】  11.9km
【今月の累積距離】  183.91km
【ペース】 平均 5'30"/km、 最高 5'17"/km
【心拍数】 平均 144rpm、 最高 159rpm
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 16℃、最低 3℃
【体重】 65.4kg
【コース】
会社往復+牧場
【コメント】
ヴェネツィア、ローマの次は花の都フィレンツェ
最も美しいといわれるマッジオ・フィオレンティーノ
(フィレンツェの5月)に訪れた
あいにく晴天続きとはいかず、
雨天、曇天、晴天と変化する天候
ランニング中はいつも雨

シニョリーア広場のカフェ
フィレンツェ共和国_f0199449_5412319.jpg

紀元前59年ローマ軍がアルノ川沿いの地に野営地を作り、
花の女神フローラの町、フロレンティアと命名した
これがフィレンツェの語源
因みに紀元前59年はユリウス・カエサルが
ポンペイウス、クラッススとともに第1回三頭政治を開始した年
8年に及ぶガリア遠征を始める前年にあたる
西ローマ帝国崩壊後、ゴート人に征服され、神聖ローマ帝国に支配される

アルノ川とポンテ・ヴィッキオ
フィレンツェ共和国_f0199449_5431363.jpg

12世紀には中小貴族や商人からなる都市国家となった
13世紀から15世紀は絶え間ない内輪もめ
2分裂では足りず4分裂する
フィレンツェ人ダンテは当時のフィレンツェを
痛みに耐えかねて、寝床の上で転々と身体の向きを変える病人に例えた
政権が変わるたびに追放者がでる
ダンテ自身も追放された
経済的には、遠隔地との交易にくわえて、
毛織物業を中心とする製造業と金融業で莫大な富を蓄積した

サンタ・マリア・デル・フォーレ(花の聖母寺)
フィレンツェ共和国_f0199449_5441756.jpg

15世紀のフィレンツェはイタリア第1の銀行家であるメディチ家のもとで最盛期を迎える
四代にわたるメディチ家の当主を
フィレンツェ出身の政治思想家マキアヴェッリは次のように評する
ジョヴァンニの良質・善良
コシモの賢明
ピエロの人間性
ロレンツォの偉大・華麗、慎重・冷静

ロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なるロレンツォ)の時代には、
ボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍する
ルネサンスの中心としてフィレンツェは黄金時代を迎えた。

バルジェッロ宮
フィレンツェ共和国_f0199449_5454049.jpg

ロレンツォの死後、フィレンツェは急激に衰退する
ロレンツォの子のピエロ2世は、
フランス王シャルル8世の侵略に屈辱的な譲歩をし、
メディチ家はフィレンツェから追放された
一時期ドミニコ会サン・マルコ修道院のサヴォナローラが
フィレンツェを支配するが民衆の支持を失い処刑された

サヴォナローラが処刑されたシニョリーア広場とパラッツォ・ヴェッキオ
フィレンツェ共和国_f0199449_546459.jpg

1527年 ドイツ・スペイン連合軍によりローマがりょう奪され(サッコ・ディ・ローマ)、
ルネサンス時代の建築の8割が破壊される

  ルネサンスの終焉

1530年 同じくドイツ・スペイン連合軍によりフィレンツェ共和国は滅亡
幸いスペイン王カルロスはローマでのような蛮行をフィレンツェでは行わなかった
第2次世界大戦でもドイツ軍も連合国軍も宮殿は破壊しなかった
おかげでわれわれはルネサンス期の建築を見ることができる

1569年 トスカーナ大公の称号がメディチ家に授与され、
フィレンツェはトスカーナ大公国の首都となったが、
実質的にはスペインの支配下に入った

アンチ・ヒーローの都市国家ヴェネツィア共和国は
1797年にナポレオン・ボナパルトに降伏するまで、
外部の環境変化にあわせて
政体を変え、産業構造を変え、
1000年以上繁栄したが、
個人の力量に頼るフィレンツェは
ルネサンスという大輪の花がしぼむとともに主役の座を降りた

前述のロレンツォ・ディ・メディチは詩人でもある
晩年の作品「バッカスとアリアドネの勝利の歌」は
今日でもイタリアの小学校で暗証させられるらしい

青春はうるわし
されど逃れゆく
楽しみてあれ
明日は定めなきゆえ

塩野七生さんは、この詩はヴェネツィアでも大流行し、後代になっても
カーニヴァルには欠かせない歌になっていたという事実から、
上田敏か誰か、日本の文人がヴェネツィアで聴き知り、
帰国後、歌人の吉井勇に語り、「ゴンドラの唄」が生まれたのではないか、
と推察している

「ゴンドラの唄」
命短かし   恋せよ乙女
赤きくちびる あせぬまに
熱き血潮の  冷えぬまに
明日の月日は ないものを

吉井 勇 詞   中山 晋平 曲

黒澤明『生きる』で、志村喬演じる主人公が
ブランコをこぎながら歌ったあの歌である

ルネサンスを生み出し、ルネサンスの終焉とともに滅亡した
フィレンツェ共和国のことを歌うようにもうけとれる

ポンテ・ヴェッキオから見たアルノ川の夕日
フィレンツェ共和国_f0199449_5473178.jpg


by totsutaki | 2010-05-18 05:47 | その他
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