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プラハ3 カフカを訪ねて
【走った距離】 5.8km
【今月の累積距離】 178.06km 【天気】 晴れ 【気温】 最高 3℃、最低 -2℃ 【体重】 66.6kg 【コース】 会社まで最短 【コメント】 フランツ・カフカはユダヤ人街で生まれ プラハで学び、働き、文筆活動をした 咽頭結核で1924年6月3日40歳でウィーンで死去 カフカはその死に際し、 友人マックス・ブロートに草稿やノート類を すべて焼き捨てるようにとの遺言を残したが、 ブロートは自分の信念に従って これらを順次世に出していった ノーベル賞を10回授与しても足りないほどの 文学作品が出版された 友を裏切ることになったが 現代文学は大いなる恩恵を受けた 生前は『変身』など数冊の著書が知られるのみだったが、 死後にブロートによって 未完の長編『審判』、『城』、『失踪者』を始めとする 遺稿が発表されてから再評価を受けた カフカは実存主義の文学者から注目された サルトルはカフカを 実存主義文学の先駆者として評価し、 カミュはカフカの作品を 実存主義の文脈における「不条理な作品」と見なした カフカの国際的な名声は決定的なものとなった 現在ではジェイムズ・ジョイス、 マルセル・プルーストと並び 20世紀の文学を代表する作家と見なされている ウィーンではカフカの定宿グラーツホテルに泊まったが カフカを偲ばせるものがなかった カフカの生まれ、学び、働き、執筆をした街を見ることが 今回プラハを訪れた目的のひとつ 代表作 『失踪者』(『アメリカ』)(1912年) 『変身』(1912年) 『審判』(1914年-1915年) 『城』(1922年) カフカの生家 フランツ・カフカは1883年、 オーストリア=ハンガリー帝国領プラハのユダヤ人街に 高級小間物商を営む家庭に生まれた カフカが少年時代に住んだ家 旧市庁舎の中 父親はユダヤ人だがプラハでは重要な人物だったのだろう カフカの6番目の家 カフカはユダヤ人街を数年置きに転居している 今はインターコンチネンタルホテルが建っているが ここにあったアパートでカフカは『判決』、『変身』と『失踪者』を執筆 プラハ場内「錬金術通り」の部屋 残念ながら工事中 この通り沿いのアパートで『審判』を書いた 「金のカワマス館」 カフカは1915年から1917年までここで住んだ 旧ユダヤ人街に今も残るシナゴーグ(ユダヤ教会) カフカも訪れたのだろう スペインシナゴーグ前のカフカモニュメント 生家跡のカフカのレリーフ 旧市街広場にあったサロン カフカや プラハ大学教授だったアインシュタインも このサロンのメンバーだった
by totsutaki
| 2011-02-23 08:07
| ランニング
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